2019年07月18日

日本の灯籠

久しぶりの更新。
日本へ久しぶりに帰国していました。

テクノロジーの発展を謳う日本、便利・快適・享楽を追求していきたい社会、資本主義なのだからしょうがないのだが、そういったものにはまったく興味がなく、もっぱら自然の中を散歩の日々。いいものがたくさんあるのに放置されているものがたくさんあり、人のいないところに見どころが多い。特に気になったのが石碑や灯籠。

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どこにでもあるような灯籠。気づかない人も多いと思うが、建てられた年月が刻んである。これをよく観てみると、
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「天保」と書かれている。天保というのはほとんどの人が聞いたことがあると思う。天保の改革の天保。確か、漱石の「吾輩は猫」にも、「天保老人」と少し小馬鹿にされるお爺さんが出てくる。ちなみの漱石は慶応3年生まれ。(慶応は明治の前の元号で四年でお役目終了している)。

灯籠の世界では、明治、大正はまだまだ新参者。昭和では小僧扱い。平成になるとお乳を吸っている赤子である。やっぱり気合の入った江戸時代燈籠を見つけると、オッとなる。

延享の灯籠。
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文政
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寛延
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享保
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元号が平成から令和になり、一時元号騒ぎがあったが、これらの元号を古い順に並べられる人は少ないであろう。

文字は石に刻みつけるのだから半永久的に残っていくように思っていたが、これらの江戸時代の文字は風化してしまって見えないものが多い。書いてある漢字や言葉も現在では使われていないものがあり、現代人の無教養の小生には読めないし、理解ができない。言葉は不変のように考えている人も多いが、わずか200年ほどで「なんじゃこれ」となってしまうのである。正しい日本語と言っているが、移り変わっていく言葉を、正しい意味概念と規定することは、ある意味おかしなことかもしれない。現代人が使っている「マジ、ヤベー」なんかは文字表現するにはフワフワしていて落ち着きがなく、響きも下品な感じがするので、しばらくのうちに死語になるかと思うが、100年後の人は多分理解ができない言葉となるから、逆に貴重な表現なのかもしれない。

明治時代の灯籠に寄贈した人の名前が刻まれていたりするが、もちろんその人はもうこの世にはいないだろう。安価でないであろう灯籠をどういった気持ちで寄贈したのか、どういう生活をしていた人なのか、どういう気持で寄贈した灯籠を眺めたか、そもそそもトラックやクレーン車もない時代にどうやって重い灯籠を運んだのか、灯籠を観ているだけで妄想はどこまでも広がっていく。こうした灯籠の文字を読むことが、故人の供養をしているような気持ちにもなった。

posted by 逍遥居士 at 16:24| Comment(0) | パワーニュース | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年05月17日

特選味噌ラーメン

いつも食べるカレー屋で、毎回カレーばかり食べているのだが、今回はさすがにカレーも飽きていたので、違うものを注文してみた。

「じゃあ、ラーメン・・・・」
店主の親父さんに告げる。

「しょうゆ、塩、味噌、どれにします?」
「うーん・・・・」
しばらく考え、
「味噌」
と言った。
スープに出汁がとられていなくとも、味噌さえ入っていれば成立するだろうと消極的な選択。

「チキンの照り焼き、とんかつ、エビフライ、魚フライ、どれをトッピングします?」
まだ、選ばなければならないらしい。
「うーん・・・・」
しばらく考え、
「魚フライ」
と言った。どれもパンチがきいていそうなので、一番大人しそうなものを選択。

しばらく待つとやってきた。
『秘伝・魚フライのせ味噌ラーメンInチェンマイ』
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見た目的に箸がなかなか動かない。「エイ!」と食べてみたら、とりあえず喉に通った。ウマいとは言わないけど、マズイとも言わない。感想は「そうか・・・・、そうなのか・・・・」。天井を眺め、フーと深く息をつく。

老子曰く、「五味令人口爽(五味は人の口をたがわしむ)、味わい豊かな食事は人の味覚を鈍くする」

人生は修行です。勉強させてもらいました。みそラーメンに感謝。
posted by 逍遥居士 at 20:24| Comment(0) | パワーニュース | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

アイス猫

以前、ツイッターか何かで、ふざけて冷蔵庫の中に入って自撮りして炎上した若者がいた。これからもそういう類のことは起こるであろうが、この程度のことで、怒りを顕にして大ニュースになってしまうのが「現代」という時代であろう。百年後の人が見たら、誰が悪いとか、そういう倫理観がまるっきり変わっていることだろう。

そんな人間社会を嘲笑うかのように、タイの猫が、顰蹙を買うであろう場所で悠々と寝ていた。
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酷暑の季節、アイスクリームのガラスの上はひんやりして気持ちがいいのだろうか。

もう少し近づいてパシャリ。
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スマホを近づけると、薄っすらと目を開けるが、「何だ、コイツは」と軽蔑の眼差しで一瞥し、また寝入ってしまった。

漱石風に表現するなら、
「吾輩は猫である。名前は、知らない。吾輩はここで初めてニホン人というものを見た。しかもあとで聞くとそれは人間中で一番獰悪な種族であったそうだ。このニホン人というのは時々我々を捕まえて保健所というところで年間1万3千頭以上焼却処分をするという話である」

いい夢を見てください。

寝られんわ!
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2019年04月18日

パン作り修行 3日目

14日、この日も早起きし、パン作りを始めた。今日こそは「合格点のパン」を作ってやろうと意地である。だが、あくまで「合格点のパン」であって、「とびきり美味しいパン」ではない。「そこそこのパン」でいいから作りたい。2回パン作りにチャレンジして、美味しいパンは素人には作れないことはわかった。「素人」というか、「きちんとした道具と設備と材料をもたない人」と言ったらいいか。

パン作りの重要な点、それは「水の量」である。2度の失敗によって2度の教訓を得た。レシピに従うでなく、状況を見ながら調整したほうがいい。だから小麦粉に水を入れる際、レンゲで一匙ずつ小麦粉に入れてかき混ぜ、ゆっくりゆっくり馴染ませていって水の量を調整した。その甲斐あって手を生地に突っ込んでもニチャニチャ引っ付かない硬さに調整することに成功した。3日目にしてようやくまな板の上に生地を載せて手でコネるという作業に到着した。

「やりたかったのは、コレだ、コレーー」
だが、コネ始めたが、どうもしっくりこない。なぜなら台が揺れて不安定だからだ。部屋にあるテーブルは折りたたみ式の簡易テーブル、両手で思い切り体重をかけると壊れそうで危うい。そこで化粧台の上を掃除し、そこにまな板を置いて場所移動。安定した上で再びコネを開始。

練っては伸ばし、練っては伸ばし、体力が要る。今度は水が少ないのか、伸ばすのが難しく、生地が「干し柿の表面」のように粉っぱい。水を少量加えながら調整しコネること30分、一応一次発酵の準備が整った。

ーー1時間の発酵タイム。

再びコネ回し、大きさを整えて鍋の上に載せた。今回は熱が全体にムラなく通るよう、細長の形を選択。イースト臭がしないよう念のため、もう一度1時間放置。それから焼きに入って25分、完成したパンがコレだ。
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下にある丸い形のパンには、市場で買ってきたトンカツが入っている。いわゆるお惣菜パン。もうちょっとカッコよくいえば、ロシア料理の「ピロシキ」風。(ピロシキというハイカラな料理を食べたことはないが・・・。)他にもバナナを入れてやろうかなどといろいろ考えたが、まず、まともなパンが完成しないのに応用編に手を出すのは早計だろうと踏みとどまり、応用編はトンカツ入り一つにとどめた。

さあ、とにかく味である。
今回は水の量を抑えて十分コネた。バターも入れた。発酵時間も十分にとった。形を細くして熱が行き渡るようにした。もうスキはない。これで美味しくならないわけがないだろう。が、パッと見た感じ、「美味しそう」には見えない・・・。

さあ実食。
パクリーーと、ひと噛み。
「か、硬い・・・・」
やはり昨日までと同じように、外はカチカチであり、中はニチャニチャ。「ウーン・・・・」、ハッピーな気持ちになれない。

次にピロシキ一号。
フンワリしたパン生地だとトンカツも活きるだろうが、パンが硬くてコレもウーン・・・・。

結論ーー
パン作り修行、合格点ならず。

どうして何だろう・・・・。
小麦粉の問題なのかなあ。

翌日もソンクラーン休みで時間はあるが、残念ながらパン作りする気力はもう失った。まだ小麦粉は半分以上残っているが、どうやってもフワフワパンができそうな気がしない。それなら、最初から硬くなることを承知の上で「田舎風ビスケット」を作って、カチカチ感を楽しもうか。

しかし、どうして「バーン・ベーカリー(町のパン屋さん)」のパンはあんなに美味しいのか。長らくご無沙汰しているが、無性に美味しいパンが食べたくなってきた。
 
本日の名言。
「マズさを知って美味しさ知る。マズさがなければ美味しさもない」
勉強になりました。

posted by 逍遥居士 at 17:23| Comment(0) | 徒然なるエッセイ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年04月16日

パン作り修行 2日目

どうして美味しいパンができなかったのか? どうしてオシッコ臭くなったのか? 考えてみた結果、以下のように結論づけた。
@発酵時間が足りなかった。 
Aコネが足りなかった。
Bドライイーストの量が多すぎた。 
Cこねる以前に水の量が多すぎた。 
Dそれともバターを入れなかったので、生地がネチャネチャになったのか?

「よし、ならばーー」と夜にスーパーに出かけバターを買った。銀紙に包まれたものではなく、一個一個がプラスチック容器に小分けされたものを購入。これだと室温で溶けても大丈夫。明日は美味しいパンが作れそうだ。

13日、早起きし、パン作りの支度をする。昨日経験したので要領は得ている。注意する点は研究済み、ドライイーストの量を少なめにし、発酵しやすいように砂糖の量を若干多めにし、水の代わりにぬるま湯を入れた。混ぜる際も、レンゲではなくシャモジで混ぜた。シャモジは面積が広いので混ぜやすい。

が、一つミスをした。水を昨日よりも少なくして入れたつもりだったが、それでも量が多かったようだ。混ぜても混ぜても丼鉢やシャモジに生地がヘバりつく。「ならば」とここで最終兵器の「バター」を投入。バターの油膜が生地を覆い、ヘバり付かなくなるであろう。

が、やっぱりへばり付いた。ニチャニチャになる原因はどうやらバターではなく、水の問題ということが浮き彫りになった。だが、対応策はYoutubeを見て研究済み。まな板の上に小麦粉をまぶし、生地の表面にも小麦粉をかけ、自分の手には水をつけ、それで手でコネてみることにした。結果、やっぱりダメ。手とまな板に生地がヘバり付いてコネることができなかった。

丼鉢に生地を戻し、シャモジで丁寧に混ぜる。そして1次発酵タイムスタート。1時間後、生地を見ると大きくなっている。ニオイだが、昨日に比べてイーストの酸っぱいニオイはしないが「ない」といえば嘘になる。微妙にする。再び、小麦粉を全体にちらし、シャモジでかき回す。そして、ダメ押しにもう一回、1時間の発酵タイムをとった。ここまで発酵させればニオイが消えてくれるはず。

そして、焼きに入った。昨日は適当に焼いたが、今回はストップウォッチできちんと計って、両面均等に焼くつもりである。25分後、焼き上がったパンがコレだ。
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欧州の田舎風パンをイメージして大型のドーム状のパンにした。

「美味しそう、いい匂い」とセリフを用意していたが、そのセリフが喉に詰まって出てこない。
「ウーン・・・・」と沈黙。

包丁で4等分し、さあ実食ーー。

外は「パリッ」とをイメージしていたが、「ガチッ」と硬い。中は「フワッ」とイメージしていたが、「ニチャ」と重い。「匂い」はというと、昨日の1号に比べて、オシッコ臭は少なくなっていたが、それでもクサイ。なんだろう、このニオイ。どこかで嗅いだことがあるが・・・・、とよく思い出してみたら、昔、中国を放浪していたとき、朝もやの中で売られていたパオズ(包子)に行き着いた。そう、アレだ。フーと息を吐くと白くなる寒い日の朝、湯気の出ているアツアツ包子はいかにも美味しそうだった。それを購入すると値段が異様に安く、なんだろうと思ったら、中に肉もアンコ入っていない、白いムチムチのプレーン包子。それをほおばったら鼻につくニオイがした。それがこのイースト臭。お腹は異常に膨れたが二度と食べたいと思わなかった包子だが、まさにあのときの味がここに蘇った。

一応、バターを入れたので、バターの匂いがイースト臭をコーティングし、幾分マイルドにしてくれているが、それでも「ハー・・・」と重たいため息。

点数をつけるとすると、手作りパン第1号が18点なら、2号は26点。進歩はしたが合格点には程遠い。この重くて硬いパンを食べながら、市販のパンが美味しく作られていることを改めて実感。

やっぱり、水の量だなあ・・・・・。
失敗点が浮き彫りになった。

「人生は遠回りすることで見えてくる風景がある」
おかげで名言が生まれた。

posted by 逍遥居士 at 15:48| Comment(0) | 徒然なるエッセイ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年04月15日

パン作り

タイの正月ソンクラーン休み。町を歩けば水をかけられるので外に出ない。時間があるのでパン作りに挑戦した。普段当たり前に食べているパンだが、作ったことがなかった。何でもやってみると楽しいはず。そう思って予め材料(小麦粉、イースト菌)をスーパーで買っておいた。

12日、普段よりも早起きした。パン作りの準備。現代は情報がいくらでもあって、しかもYoutubeでは動画まで見られるからありがたい。が、問題が山積み。小生の部屋には道具類が何もない。最近「ミニマリスト」という言葉があるが、その先駆けの生活を20年前から送っていて、一般の人が持っているであろうものが何もない。テレビ、冷蔵庫、洗濯機、エアコンはもちろんのこと、オーブン、電子レンジがない。電気鍋一つでパンを作るつもりだが、致命的な問題、道具ではなく材料の問題。バターがない。バターを保存するには冷蔵庫がいるが、冷蔵庫がないのでバターは買っておかなかった。「バターなしでできるかなあ」と一抹の不安はあったが、小麦粉を発酵させ、それを焼けば要するにパンになるわけだから、まあ、なくてもできるだろう。

が、作り始めて、というか小麦粉の袋を開封し、手が止まった。
「あ、計量器がない」
レシピには「小麦150グラム」などと書いてあるが、150グラムがどれくらいだかわからない。ここらへんは勘で適当にお茶碗一杯の小麦粉を丼鉢に入れた。他の材料、砂糖、ドライイースト、塩、水、レシピにはそれぞれグラム表示されているが、グラムが計れないので、グラムを比率に計算し直し、材料を丼鉢に入れた。「適当」を超えて、「デタラメ」の領域に足を踏み入れたかもしれない。

丼鉢に入れた材料をレンゲで混ぜ合わせるが、手を入れにくい状況であることに気づいた。動画ではみんな手でコネているから手でコネたいのだが、ネバネバとした小麦粉がいかにも手につきそうでコワイ。レンゲで混ぜていてもラチがあかないので、まな板の上にネバネバ小麦粉を移し、動画と同じように手でコネてみた。案の定、手にベタベタとつき、まな板もベタべタ、全然丸くならない。

ネバネバと格闘し、またそれを丼鉢に移し、1次発酵タイムスタート。1時間ほどすると材料は巨大化していた。よかった、酵母が働いてくれた。しかし、気づいた。部屋がクサイ。嗅いだことのある臭いだが、クサイ。すぐにイースト酵母の臭いだと気づく。それは決して香ばし臭いではない。やな臭い。ネコのオシッコを酸っぱくしたような臭い。「オエー」。焼けば臭いが飛ぶであろう。

材料をもう一度コネてお饅頭形にしようと、またまな板の上にのせたが、やはりネバネバ物体のままでコネられない。適当にレンゲで混ぜ合わせて電気鍋に移し、温度を200度にして焼きのスタート。後は待つだけ。

そしてできたパンがコレだ。
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初めて自分で作ったパンはさぞかしウマいことだろう。派手さはないが滋味のあるパン。噛めば噛むほど味が出てくるパン。なんせ添加物未使用である。大量生産のコンビニパンとはわけ違う。

さて実食。

パクリと口に含む・・・・。
言葉はない。
何と言ったらいいか、「ウーン・・・・・」、端的に言ってマズイ。苦労して作ったのにマズイ。派手さもないが滋味もない、噛んでも噛んでもイースト菌のにおいが生地に染み込んでいてクサイ。

失敗だ・・・・。

敗北宣言。プロの動画では「外はカリッと、中はフンワリ」などというコメントがあったが、小生の手作り第一号は「外はガッチガチ、中はネッチネチ」、食べるとズシリと腹にくる。何よりもクサイ。何とかならないかこの臭い。

ソンクラーン休みは続く。失敗の原因を追求し次につなぎたい。


posted by 逍遥居士 at 19:58| Comment(0) | 徒然なるエッセイ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年04月07日

透明人間

チェンマイ旧市街を歩いていたときのこと、
道端で透明人間を発見し、すかさずスマホでパシャリ。
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透明人間は化けそこねたのか、下半身は丸見えである。小生は、「この広い世の中には透明人間になれる奇特な人が存在していたのか」と胸を高鳴らせ、さらに近づきもう一枚パシャリ。
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小生はインタビューを試みようと、
「やあ、昨今暑くなりましたなあ」
と声をかけ、肩口あたりにポンと手を当ててみたら、なんとびっくり、上半身は存在していなかった・・・。
「どいうこと?」
よく見てみたら。あーら残念、植木鉢にズボンを履かせただけのオブジェでした。♪チャンチャン

これを作った人はよほど暇だったのだろうか。こういうアイディアがひらめいても、実際に行動に出る人はほとんどいない。時間と労力とお金をかけてこのショーモないオブジェ(ショーモないと言ってスミマセン)を作った人は、余裕のある人生を送っている人だろうと推測される。毎日仕事に追われ、休日は家族サービス、疲労で肩が重く、目は眼球疲労をおこして充血し、冒険心の欠片すら失っていしまった人は、こういう意味のない作業はとてもできないと思う。誰かに命令されたわけではなく、お金のためでもなく、自分自身の内発性で行動できる、この透明人間の作者のような人がもっと世の中にいれば、この世はもう少し住みやすくなるのにとボンヤリ思った。


posted by 逍遥居士 at 17:56| Comment(0) | パワーニュース | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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