日に日にチェンマイの町が変わっている。昨日スーパーに行ったら、入店後、体温チェックと手の消毒をさせられた。それから市場に行くと、市場全体にテープが巻かれて自由に出入りできなくなっている。一部テープがないところが入り口で、そこには水道の蛇口があって、手を洗ってから入るようになっていた。
タイ保険省の報告によると、チェンマイでの新たな感染者はほとんど出ていないようだが、この厳重さだ。イタリアやニューヨークの深刻な状況、世界中の隔離政策を見ていると、タイは感染者数がまだ少ないが、政府もこのぐらいのことをしなければ不安になるのかもしれない。
しかし今の状況、空路がほぼ欠航し、陸路の国境も塞ぎ、町の行き来を制限し、店は閉められ、人々は必要な食料の買い出しのときしか家から出ない、そんな隔離された状況、個人の経済、会社の経済、国の経済がどこまでもつのだろうか? 店を閉められても、国からの補償のニュースがタイでは何も出てこない。コロナウィルスで殺されるよりも、経済問題で殺されるほうが確率が高そうである。
しかし、かといって、世界のトップを走るアメリカをはじめとする先進諸国、隔離政策を行っているが、それがどこまでつづけられるのか。2ヶ月、3ヶ月で収束する見込みということで隔離しているのだと思うが、隔離していても患者数が増えていき、半年一年と隔離がつづいたらどうなるのか。経済的な崩壊、個人の精神の崩壊が予測される。どこかで隔離を解いて、普通の生活に戻さなければならないと思うが、それはどういったタイミングで行われるのか。現在隔離状態でも感染者が増える状況、ウィルスのしぶとさからいって、隔離を解いたらすぐにまた感染者が増えるだろう。自分の中で平和な未来がイメージできない。
この世界は(社会も含め)、自然な状態では秩序が働くが、人間の愚かさ故に無秩序となるという考え方がある。もう一つの考え方、そもそも世界は無秩序であり、偶然に、ある時期だけ、秩序が生まれているように見えることがある。前者が当たり前だと思っている人が多いのではないだろうか。秩序はそんなになまやさしいものではない。
我々は化石燃料を使うことで、テクノロジーを発展させ、社会システムを作ってきた。大量生産、大量消費、大量廃棄。経済を回すことで、社会を回す。ほとんどの人は、食料も水もエネルギーも、自分で作ることをしなくていい。中央集権のシステムに任せておけばよかった。今の現状、人々は隔離されている現状、もし食の流通が止まったら、ほとんどの人はもう終わりである。我々が信じている常識、当たり前の社会システム、そんなもの諸行無常、風の前の塵に同じというのは平家物語の時代も今も何も変わっていない。
このウィルスによって人類が死滅していき、最後どれだけ残るだろうと、最悪のシナリオを考えている学者もおられると思うが、もし生き残るとしたら、アマゾンかインド洋の孤島で、文明と接することなく生きている部族の方々だけかもしれない。
かりに、2ヶ月後、感染がストップし患者が激減していき、普通に社会が回りだしたとする。そのとき、今の消費社会、貨幣制度、エネルギー政策、個人の生き方が根本的に変わらなければ、もう人類は終わるだろうと思う。また同じように、変異したウィルスによって社会は分断され、どうすることもできなくなる。「来年の7月にオリンピックを再開」というニュースが出てきているが、金儲けしか考えていないお上の能天気さは何なのか。かける言葉もない。
2020年03月29日
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