2019年04月18日

パン作り修行 3日目

14日、この日も早起きし、パン作りを始めた。今日こそは「合格点のパン」を作ってやろうと意地である。だが、あくまで「合格点のパン」であって、「とびきり美味しいパン」ではない。「そこそこのパン」でいいから作りたい。2回パン作りにチャレンジして、美味しいパンは素人には作れないことはわかった。「素人」というか、「きちんとした道具と設備と材料をもたない人」と言ったらいいか。

パン作りの重要な点、それは「水の量」である。2度の失敗によって2度の教訓を得た。レシピに従うでなく、状況を見ながら調整したほうがいい。だから小麦粉に水を入れる際、レンゲで一匙ずつ小麦粉に入れてかき混ぜ、ゆっくりゆっくり馴染ませていって水の量を調整した。その甲斐あって手を生地に突っ込んでもニチャニチャ引っ付かない硬さに調整することに成功した。3日目にしてようやくまな板の上に生地を載せて手でコネるという作業に到着した。

「やりたかったのは、コレだ、コレーー」
だが、コネ始めたが、どうもしっくりこない。なぜなら台が揺れて不安定だからだ。部屋にあるテーブルは折りたたみ式の簡易テーブル、両手で思い切り体重をかけると壊れそうで危うい。そこで化粧台の上を掃除し、そこにまな板を置いて場所移動。安定した上で再びコネを開始。

練っては伸ばし、練っては伸ばし、体力が要る。今度は水が少ないのか、伸ばすのが難しく、生地が「干し柿の表面」のように粉っぱい。水を少量加えながら調整しコネること30分、一応一次発酵の準備が整った。

ーー1時間の発酵タイム。

再びコネ回し、大きさを整えて鍋の上に載せた。今回は熱が全体にムラなく通るよう、細長の形を選択。イースト臭がしないよう念のため、もう一度1時間放置。それから焼きに入って25分、完成したパンがコレだ。
IMG_20190414_122252909.jpg
下にある丸い形のパンには、市場で買ってきたトンカツが入っている。いわゆるお惣菜パン。もうちょっとカッコよくいえば、ロシア料理の「ピロシキ」風。(ピロシキというハイカラな料理を食べたことはないが・・・。)他にもバナナを入れてやろうかなどといろいろ考えたが、まず、まともなパンが完成しないのに応用編に手を出すのは早計だろうと踏みとどまり、応用編はトンカツ入り一つにとどめた。

さあ、とにかく味である。
今回は水の量を抑えて十分コネた。バターも入れた。発酵時間も十分にとった。形を細くして熱が行き渡るようにした。もうスキはない。これで美味しくならないわけがないだろう。が、パッと見た感じ、「美味しそう」には見えない・・・。

さあ実食。
パクリーーと、ひと噛み。
「か、硬い・・・・」
やはり昨日までと同じように、外はカチカチであり、中はニチャニチャ。「ウーン・・・・」、ハッピーな気持ちになれない。

次にピロシキ一号。
フンワリしたパン生地だとトンカツも活きるだろうが、パンが硬くてコレもウーン・・・・。

結論ーー
パン作り修行、合格点ならず。

どうして何だろう・・・・。
小麦粉の問題なのかなあ。

翌日もソンクラーン休みで時間はあるが、残念ながらパン作りする気力はもう失った。まだ小麦粉は半分以上残っているが、どうやってもフワフワパンができそうな気がしない。それなら、最初から硬くなることを承知の上で「田舎風ビスケット」を作って、カチカチ感を楽しもうか。

しかし、どうして「バーン・ベーカリー(町のパン屋さん)」のパンはあんなに美味しいのか。長らくご無沙汰しているが、無性に美味しいパンが食べたくなってきた。
 
本日の名言。
「マズさを知って美味しさ知る。マズさがなければ美味しさもない」
勉強になりました。

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2019年04月16日

パン作り修行 2日目

どうして美味しいパンができなかったのか? どうしてオシッコ臭くなったのか? 考えてみた結果、以下のように結論づけた。
@発酵時間が足りなかった。 
Aコネが足りなかった。
Bドライイーストの量が多すぎた。 
Cこねる以前に水の量が多すぎた。 
Dそれともバターを入れなかったので、生地がネチャネチャになったのか?

「よし、ならばーー」と夜にスーパーに出かけバターを買った。銀紙に包まれたものではなく、一個一個がプラスチック容器に小分けされたものを購入。これだと室温で溶けても大丈夫。明日は美味しいパンが作れそうだ。

13日、早起きし、パン作りの支度をする。昨日経験したので要領は得ている。注意する点は研究済み、ドライイーストの量を少なめにし、発酵しやすいように砂糖の量を若干多めにし、水の代わりにぬるま湯を入れた。混ぜる際も、レンゲではなくシャモジで混ぜた。シャモジは面積が広いので混ぜやすい。

が、一つミスをした。水を昨日よりも少なくして入れたつもりだったが、それでも量が多かったようだ。混ぜても混ぜても丼鉢やシャモジに生地がヘバりつく。「ならば」とここで最終兵器の「バター」を投入。バターの油膜が生地を覆い、ヘバり付かなくなるであろう。

が、やっぱりへばり付いた。ニチャニチャになる原因はどうやらバターではなく、水の問題ということが浮き彫りになった。だが、対応策はYoutubeを見て研究済み。まな板の上に小麦粉をまぶし、生地の表面にも小麦粉をかけ、自分の手には水をつけ、それで手でコネてみることにした。結果、やっぱりダメ。手とまな板に生地がヘバり付いてコネることができなかった。

丼鉢に生地を戻し、シャモジで丁寧に混ぜる。そして1次発酵タイムスタート。1時間後、生地を見ると大きくなっている。ニオイだが、昨日に比べてイーストの酸っぱいニオイはしないが「ない」といえば嘘になる。微妙にする。再び、小麦粉を全体にちらし、シャモジでかき回す。そして、ダメ押しにもう一回、1時間の発酵タイムをとった。ここまで発酵させればニオイが消えてくれるはず。

そして、焼きに入った。昨日は適当に焼いたが、今回はストップウォッチできちんと計って、両面均等に焼くつもりである。25分後、焼き上がったパンがコレだ。
IMG_20190413_114307328.jpg
欧州の田舎風パンをイメージして大型のドーム状のパンにした。

「美味しそう、いい匂い」とセリフを用意していたが、そのセリフが喉に詰まって出てこない。
「ウーン・・・・」と沈黙。

包丁で4等分し、さあ実食ーー。

外は「パリッ」とをイメージしていたが、「ガチッ」と硬い。中は「フワッ」とイメージしていたが、「ニチャ」と重い。「匂い」はというと、昨日の1号に比べて、オシッコ臭は少なくなっていたが、それでもクサイ。なんだろう、このニオイ。どこかで嗅いだことがあるが・・・・、とよく思い出してみたら、昔、中国を放浪していたとき、朝もやの中で売られていたパオズ(包子)に行き着いた。そう、アレだ。フーと息を吐くと白くなる寒い日の朝、湯気の出ているアツアツ包子はいかにも美味しそうだった。それを購入すると値段が異様に安く、なんだろうと思ったら、中に肉もアンコ入っていない、白いムチムチのプレーン包子。それをほおばったら鼻につくニオイがした。それがこのイースト臭。お腹は異常に膨れたが二度と食べたいと思わなかった包子だが、まさにあのときの味がここに蘇った。

一応、バターを入れたので、バターの匂いがイースト臭をコーティングし、幾分マイルドにしてくれているが、それでも「ハー・・・」と重たいため息。

点数をつけるとすると、手作りパン第1号が18点なら、2号は26点。進歩はしたが合格点には程遠い。この重くて硬いパンを食べながら、市販のパンが美味しく作られていることを改めて実感。

やっぱり、水の量だなあ・・・・・。
失敗点が浮き彫りになった。

「人生は遠回りすることで見えてくる風景がある」
おかげで名言が生まれた。

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2019年04月15日

パン作り

タイの正月ソンクラーン休み。町を歩けば水をかけられるので外に出ない。時間があるのでパン作りに挑戦した。普段当たり前に食べているパンだが、作ったことがなかった。何でもやってみると楽しいはず。そう思って予め材料(小麦粉、イースト菌)をスーパーで買っておいた。

12日、普段よりも早起きした。パン作りの準備。現代は情報がいくらでもあって、しかもYoutubeでは動画まで見られるからありがたい。が、問題が山積み。小生の部屋には道具類が何もない。最近「ミニマリスト」という言葉があるが、その先駆けの生活を20年前から送っていて、一般の人が持っているであろうものが何もない。テレビ、冷蔵庫、洗濯機、エアコンはもちろんのこと、オーブン、電子レンジがない。電気鍋一つでパンを作るつもりだが、致命的な問題、道具ではなく材料の問題。バターがない。バターを保存するには冷蔵庫がいるが、冷蔵庫がないのでバターは買っておかなかった。「バターなしでできるかなあ」と一抹の不安はあったが、小麦粉を発酵させ、それを焼けば要するにパンになるわけだから、まあ、なくてもできるだろう。

が、作り始めて、というか小麦粉の袋を開封し、手が止まった。
「あ、計量器がない」
レシピには「小麦150グラム」などと書いてあるが、150グラムがどれくらいだかわからない。ここらへんは勘で適当にお茶碗一杯の小麦粉を丼鉢に入れた。他の材料、砂糖、ドライイースト、塩、水、レシピにはそれぞれグラム表示されているが、グラムが計れないので、グラムを比率に計算し直し、材料を丼鉢に入れた。「適当」を超えて、「デタラメ」の領域に足を踏み入れたかもしれない。

丼鉢に入れた材料をレンゲで混ぜ合わせるが、手を入れにくい状況であることに気づいた。動画ではみんな手でコネているから手でコネたいのだが、ネバネバとした小麦粉がいかにも手につきそうでコワイ。レンゲで混ぜていてもラチがあかないので、まな板の上にネバネバ小麦粉を移し、動画と同じように手でコネてみた。案の定、手にベタベタとつき、まな板もベタべタ、全然丸くならない。

ネバネバと格闘し、またそれを丼鉢に移し、1次発酵タイムスタート。1時間ほどすると材料は巨大化していた。よかった、酵母が働いてくれた。しかし、気づいた。部屋がクサイ。嗅いだことのある臭いだが、クサイ。すぐにイースト酵母の臭いだと気づく。それは決して香ばし臭いではない。やな臭い。ネコのオシッコを酸っぱくしたような臭い。「オエー」。焼けば臭いが飛ぶであろう。

材料をもう一度コネてお饅頭形にしようと、またまな板の上にのせたが、やはりネバネバ物体のままでコネられない。適当にレンゲで混ぜ合わせて電気鍋に移し、温度を200度にして焼きのスタート。後は待つだけ。

そしてできたパンがコレだ。
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初めて自分で作ったパンはさぞかしウマいことだろう。派手さはないが滋味のあるパン。噛めば噛むほど味が出てくるパン。なんせ添加物未使用である。大量生産のコンビニパンとはわけ違う。

さて実食。

パクリと口に含む・・・・。
言葉はない。
何と言ったらいいか、「ウーン・・・・・」、端的に言ってマズイ。苦労して作ったのにマズイ。派手さもないが滋味もない、噛んでも噛んでもイースト菌のにおいが生地に染み込んでいてクサイ。

失敗だ・・・・。

敗北宣言。プロの動画では「外はカリッと、中はフンワリ」などというコメントがあったが、小生の手作り第一号は「外はガッチガチ、中はネッチネチ」、食べるとズシリと腹にくる。何よりもクサイ。何とかならないかこの臭い。

ソンクラーン休みは続く。失敗の原因を追求し次につなぎたい。


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2019年03月24日

骨折の教え

一ヶ月がたった。無事回復し、普段どおりの日常が戻った。が、一ヶ月前の同じ地点に立ったというわけではなく、小さな脱皮をしたような気分だ。
「明日という日が自動的にやってくるわけではない」
当たり前のことを今更ながら気づかされた。
渡された課題をどう解決していくか、違った方向に人生が歩みだしたようにも思える。

一ヶ月前のこと、まどろっこしい説明を省き端的にいうと、バイクでこけた。ただそれだけである。通り慣れた道なのに左折した瞬間、タイヤがすべって転倒した。とっさに両手をついたが顔も打った。アスファルトの硬さを感じながら、「やっちまったか」と冷静に思ったが、こういうときは脳が非常事態モードに変わるようで、痛みも何も感じない。後続のバイクがバイクを起こしてくれたので、左手が動かなくなっていたが、そのままバイクにまたがって帰った。

部屋に戻り、とりあえず一眠りしようと、服を脱ごうとしたが腕が痛くて服が脱げない。
ーーまさかあれぐらいの転倒で骨が折れるわけがないだろう。もしかしたら筋が切れたか・・・・。
頭をよぎった。腕を触ってもヘンテコリンな方向に曲がっていないから、やはり筋だろう。一日おいて様子を見て、具合が悪かったら病院にでも行くかと思ったが、一応知人に連絡したらすぐ病院へ行ったほうがいいと言われ、車で連れ出された。感謝である。

レントゲンを撮った結果、「骨折」とのこと。どこが折れているのか写真ではほとんど見えないが、微細な骨折のようである。骨折専門のお医者様は、「治るのには数ヶ月かかるが、手術して金属を埋め込めば5日で治る」とおっしゃる。値段は民間保険に入っていないのでほぼ実費、25万バーツ(80万円)だとおっしゃる。骨折よりも出ていく出費が痛い。複雑骨折ならともかく、どこが折れているかわからない骨に金属を埋め込むって、まったく意味がわからない。病院はチェマイでも有名な病院であるが、手術は頑なに拒否。診断書には「4週間安静」と書かれ、その日は痛み止めの薬や抗炎症剤などの薬を出され、病院から解放された。病院というところは時間がかかるようで、4時間近く経っていた。エアコンの効いた院内、体のエネルギーすべて骨折の治療にあたっているらしく、体がどんどん冷えていく。病院を出た直後ブルブル体が震えが止まらなくなり、凍え死ぬような恐怖を感じた。

治っていく経過は、痛みで寝れないのは最初の一晩のみ、一週間で腫れがひき、二週間で痛みがなくなり、三週間で動かせるようになり、四週間で骨折したことを忘れるぐらいになった。周りの人からは治りが早いと言われた。寝ているのは不健康に思えたので、直射日光を浴びて歩き回ったのよかったのか。「気合療法」も捨てたものではない。

小生はケチん坊なので、この経験から何かを学び取らなければもったいないと思い、思索する日がつづいた。そこで得られた気づきが、「明日という日は自動的にやってくるわけではない」である。

我々は便利な社会に生きている。それはシステムの中で飼いならされている世界である。そこで当たり前に生きていると、「人生は計算可能なものである」というような傲った気持ちになる。それは違う。我々は、明日は何が起きるかわからない未知の世界を生きているのである。だからこそ、明日この世界が崩壊しようと、明日死がおとずれようと、誰のせいにもできない。すべてを受け入れなければならない。だからこそ、いつでも感謝して死ねるように準備をしとかねばならない。

そのことを踏まえた上で、今の生活に欺瞞はないのかと自分自身に問うと、「・・・・・・」。そろそろ改革しなければならない。そろそろではなく、今すぐかもしれない。システムに浸かった生き方ではなく、片足をシステムの外においた生き方への転換ーー、課題は大きい。

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2019年02月20日

春と修羅

賢治をポツポツ読んでいる。童話はいくつか読んだことがあったが、詩については「雨ニモマケズ」ぐらいしか読んでいなかった。「雨ニモマケズ」も??だらけである。一日4合の玄米は食べ過ぎじゃない? とか、みんなにデグノボーと呼ばれて褒められもしない人、そういう人に私はなりたい、とか、そうかなあ?? 今でこそ巨匠・宮沢賢治の名前があるから立派に聞こえるが、一般常識的な感覚から言えば、正直??であろう。しかし、そういう境地に至った賢治という人に興味を抱かずにはいられない。

「春と修羅」
読んでみた。
スゴい!
ほとんど意味がわからない。
しかし、美しい言葉が散らばっている。人間はデタラメに文章を書くことはできない。意味がわからないのは読み手に問題があるはず。

まず、このタイトル「春と修羅」、このタイトルを見ただけで、言葉のセンスが突出しているのがわかる。
「春と修羅」、このタイトルだけで2時間妄想していられる。
同義語が並べられているわけでもなく、対義語が並べられているわけでもない。
「春」といえば、ささやかな幸福の空間、はかなく過ぎ去っていってしまう束の間の時間。春はそれらの象徴として使われているのかもしれない。「修羅」、「阿修羅の修羅」である。闘争を繰り返す神である。自分自身に中にある闘争心や残忍性、この世に繰り広げられる争い、人間として生を受け、逃れられない業のようなもの、修羅はそれらを表現しているように思える。

「わたくしという現象は、
 仮定された有機交流電燈のひとつの青い照明です」

この詩から賢治に仏教思想の世界観が広がっていることがうかがえる。
仏教哲学では「諸法無我」、私という現象は、脳とか目とか手とか心臓とか体温とか血とかそういう部分体の集合に名前がつけられているだけで、実際は私なんか無いと説く。じゃあ、ここに在って今行動している私という存在は何かと問われれば、仮に私があったとしたらと世界を広げる。賢治の詩にはそういう思想背景が色濃いように見える。賢治はこの世の虚構性、自分自身の虚構性を実感として強く感じていたのだろう。

「有機交流電燈」とは有機物、炭素と水素の結合でできている我々の肉体。それらの原子が互いに依存して交わり流れ、そうすることでエネルギーが生み出され、新陳代謝を起こしている。そして「青い照明」とは青い火の玉を連想させる。我々の目には人間は色形の造形として識別されるが、別の存在からの目から見れば、うっすらと光る青い火の玉のように見えるのかもしれない。

こうした小さな一文を見ただけで、想像が広がり、心が穏やかになる。だからこそ宮沢賢治なのだろう。

まだまだ紹介したい詩があるが、また今度。機会があれば。

やっぱり、もう少しだけ紹介、
最愛の妹を看取る場面、病床に臥す妹が朦朧としながら賢治に言った言葉、
「あめゆじゆ とてちて けんじや」
 賢治兄さん、雨雪をとってきてください

そして賢治は妹の茶碗を持って飛び出すように雪の降る屋外に飛び出す。

方言の解説がないと何が書いてあるのかわからないが、言葉の意味がわかると目頭が熱くなる。

宮沢賢治は偉大だった。
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2018年04月30日

引っ越した

引っ越しを決意した。
ベランダからゴルフ場が望めるアパートに越してきて9ヶ月、とにかく出たいと気持ちが逸る。

何が問題なのか。
隣の部屋がうるさい、ベッドが臭い、蚊がどこからか入ってくるなど、ひとつひとつの問題を解決し、居心地のいい空間にしようと努力、改善してきたが、それでもなぜだか心から落ち着けない。何でだろう? 理由はわからないが、ともかくもう出ようと決意した。

管理人に告げると、「今日は6日、引っ越すなら5日以内に告げないといけないと契約書に書いてあります。今月引っ越すとなると、契約違反で保証金はもどってきませんよ」「1日言い遅れただけじゃないですか?」「契約ですから・・・」と、ビジネスマインドのコスいことを言ってくる。ということで、あと2ヶ月我慢し、ようやく昨日引っ越した。こういうガメつい管理体制だから目に見えないストレスがかかっていたのかもしれない。

引っ越しは去年引っ越しを頼んだソンティオの親父。知人から紹介された人である。若くないのでパワー不足の感があるし、ソンティオの車もオンボロいが、悪いことをしなさそうな人柄を買って今回もお願いした。

荷物を、「衣服類」「食器類」「食品」「電化製品」「雑貨」「大物」とカテゴリおきに整理し、ダンボールやカゴ、袋などに詰める。こうすれば荷解きしたときにどこに何があるか明確にわかる。去年は2,3度の引っ越しを強いられたので、引っ越しのコツをそれなり会得した。
 
部屋は4階にある。部屋からエレベーター横に荷物を運び、エレベーターで下ろし、車の近くまで持っていく。荷物がまとまっているので作業はスイスイ進む。運転手に次のアパートの場所を告げ、念のためバイクで先導して次のアパートへ。次のアパートの部屋は3階、今回はエレベーターがないので荷物を持ち運ばねばならない。なかなかの苦行である。

全て運び終えた。ソンティオの親父と共同作業して1時間ほどで引っ越し完了。引っ越し運搬料金を600バーツ払った。去年は500バーツ払ったが、そのときソンティオの親父は一言も料金のことは口にせず、お金を受け取っても満足に金額を確認せず、ニコニコして「コーブクン・カップ」と言った。その態度というか、潔さというか、相手を信じている高潔さというか、それらもろもろを覚えていたので、今回は前回よりも多めに払ってあげた。1時間で600ならまあまあおいしい仕事だろう。今回もソンティオの親父は金額をほとんど確認をせず、ニコニコして「また引っ越すことになったら連絡して」と言って、黒鉛の排気ガスの上がるボロいソンティオで去っていった。

「さて・・・・」、荷物が積み上がった部屋で考えた。「どこから片付けていこうか」。持ってきたプラスチック椅子に座りながらしばらく休んでいると、ハッと気がついた。今までこんな椅子に座っていたっけ? 違う、これは使っていなかった椅子、普段はキャスター付きのもっと高価な椅子に座っている。それを運んだ記憶がない。どうやら忘れてきた。ソンティオの親父はもうどこか遠くに行ってしまっているだろうから連絡するのは悪いし。

仕事が増えた。

バイクにまたがり、以前のアパートへ引き返し、部屋を確認したら、椅子が堂々たる存在感で部屋にあった。なぜ、こんな大物を忘れてきたのか。雑巾の1枚、メモ帳の紙まで忘れずに運んだのに、こんな大事なものを忘れるとは。部屋を出る最後に念入りに確認したはずなのに。バイクで運ぶのは困難に思えたが、椅子を逆さにしてヒモでくくりつけたら、安定した形になったのでバイクで運んだ。

やれやれ。

人間は小さなことには目がいくのに、大きなことを見失うという大事なことを思い起こさせてくれた。そうなのだ、大きなものをほど盲目的になってしまうのだ。どこかの国の政治を見てもしかり、改竄、虚偽答弁、隠蔽、捏造、なんでもありである。それが芸能人の素行のことになると、マスコミに袋叩きである。警察、検察は雑魚釣りしかするつもりがないらしい。大きな問題になると国のシステムが動かなくなってしまう。

小生の精神は椅子の存在に気づき取り戻したが、国は公正と倫理を取り戻すことができるのだろうか。


posted by 逍遥居士 at 17:23| Comment(0) | 徒然なるエッセイ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年12月04日

目覚まし時計の怪

今年も12月になった。もうすぐ2017年も終わろうとしている。時が過ぎゆくのが早く感じる。

思い起こせば、今年の5月に引っ越しをした。いや、引っ越しせざるを得ない状況になった。工事の騒音があまりにやかましく、耳の聞こえが悪くなって飛び出すように引っ越した。引っ越した先は、静かな場所を念入りに選んだつもりだった。が、また耳に問題が起きた。アパートは、飛行場の真裏、飛行機の通り道だったので、飛行機が通るたびに地響きがするような騒音が響いた。わずか2週間で引っ越した。

次こそは・・・・

慎重にアパートを選んだ。通りを眺め、空を見つめ、騒音計で音量を計測して騒音状況を確認し、「ここで大丈夫」と次のアパートが決定した。が、住んでみれば、部屋の位置が悪く、ベランダから外が見えにくい。よって、風通しが悪く、湿気がこもり、異様な臭いが鼻につく。何が臭うのかよくわからない。とにかく部屋にいると息が詰まりそうになる。「こりゃ、ダメだ」、部屋をチェンジしたいと管理人に申し出ると、1ヶ月待たねばならなかった。1ヶ月辛抱し、景色の見晴らしのいい部屋に移った。

「やっと落ち着ける」と思った・・・・・。

が、住みだしてみて、あることが気になりだした。隣の部屋から、しょっちゅう目覚まし時計のような「ブー」という音がする。初め「なんだろう」と思ったが、耳を痛めるほどの音ではない。容易いものだと思っていたが、日が経つににつれ、この音に苛立ちを感じるようになってきた。

とにかく変なのだ。隣の住人は何をする人ぞ、部屋にいる間2、3時間ぐらいおきに「ブー」と鳴る。タイの建物はレンガを積み重ねただけの壁で防音がそれほどよくない。「ブー」という音はけっこうな音量で鳴る。自分のスマホ以上に大きな音で鳴るから腹立たしい。なぜ隣の住人はこんな大音量で音を鳴らすのか? 耳が悪いのか、アタマが悪いのか。しかも、それが夜中にも鳴る。夜中の11時、12時に当たり前に鳴る。夜中の3時4時にも鳴る時がある。早朝にも鳴る時がある。すぐにブザーをきればいいのだが、ブザーは「ブー」と長い時間鳴り続ける。やっと止めたかと思うと、数十秒後また鳴る。止めて鳴り、止めて鳴りを数回繰り返す。目覚ましのボタンが壊れているのか。睡眠を阻害されるので腹が立つ。 

これが毎日続いた。夜寝るときは、耳栓が欠かせなくなった。

とうとう我慢できず、管理人に相談し、目覚ましを使わぬよう言ってもらった。なぜ、そんな目覚ましを使わねばならないのか、スマホのアラームでいいだろ。音量も調整できるし。そもそも目覚ましの音なのか。何の音なんだ? 何のために夜中に鳴らすんだ?

しかし、隣の住人は目覚まし時計を使うのを止める様子はなかった。すぐにブザーを消そうという意思は多少なり感じられるようになったが、「ブー」の音は毎日続いた。

「こりゃダメだ」と、またまた引っ越しを考え出したとき、管理人から隣の部屋の住人は11月の終わりに引っ越すと知らされた。「ハー、よかった」と思ったが、待たねばならない1ヶ月はすこぶる長く感じた。ブザーの音が鳴るたびに、頭のなかに「不条理」という言葉が沸き起こってきた。自分が悪いことをしていたから復習を受けるとしたら、因果の関係として理解できる。だがこの場合、因果の関係ではなさそうである。自分は相手に何もしていないのに苦しめさせられる。ま、それでも、こんな不条理、何も悪いことをしていないのに、戦争やテロにまきこまれ、家を追われ、財産を奪われ――、そのような被害者と比べればかわいいものである。忍耐力を鍛えるいいチャンスかもしれない。しかし、それでも、人間とは弱いもので、蚊が一匹部屋にいるだけで夜寝つけず体調を崩したりしてしまう。それを思うと、このブザーの「ブー」もなかなか侮れない。

いや、それとも、自分が神経過敏のノイローゼではなかろうか。自分自身の地盤も怪しく揺れる。

とにかく、ブザーの住民がいなくなり落ち着けるようになった。次は隣の部屋にどんな住人が入ってくるのだろう。静かな人であればいいのだが。

posted by 逍遥居士 at 19:07| Comment(0) | 徒然なるエッセイ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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